7月6日、新宿にて開催されました連合消費委員会拡大学習会報告
「東日本大震災放射能汚染問題を乗り越え共同購入運動をさらにすすめる為に」
第一部
「東日本大震災からの復興に向けた思い」
(重茂漁業協同組合の高坂菊太郎参事と、(株)高橋徳治商店の高橋英雄社長)
初めに話された高坂参事は、東北人らしい朴とつとした話し方で、震災の直後と今の状況を語って下さいました。そして、急ピッチでわかめの出荷に奔走しているというご報告があり、復興への道筋が少し見えてきたように感じました。
また、黒い津波ではなく、エメラルドグリーンの津波だったのが自慢だと話されました。
次の高橋社長のお話は心に深く突き刺さる内容でした。
「東北人は無口だとよく言われますが、私はよくしゃべります。」と少しユーモアを交えながらスタートしたお話は聞いていくうちに、その深刻さが伝わってきました。
避難所生活をして施しを受ける時の虚無感、罪悪感。あらゆる財産を無くし、家族を無くした人々のこと。やむを得ず従業員を解雇したこと。今もなお残る瓦礫と悪臭のこと。2週間前に水道は使えるようになったが、電気はまだ通ってないことにもびっくりしました。
また、阪神大震災の時は130万人のボランティアが来たのに、東北には40万人しか来てくれていない、ともおっしゃいました。
どこを切り取っても、私たちがブラウン管を通して知っている情報よりも生々しく、つらい現実でした。
「皆さんは、あの震災で何を失いましたか?」
高橋社長の魂の叫びとも思える、問いかけに、絶句しかできない自分がいました。
「私は今日もこれから、あの瓦礫と悪臭の街に帰ります。私が饒舌になる理由がおわかりですか?背中に多くのものを背負って来てるからですよ。石巻の今を伝えなきゃいけないからですよ。」という使命感に溢れたお言葉に心打たれました。そして、生活クラブは心ある生協だと信じているとお話しになりました。
私たちができることは何だろう?生活クラブができることってなんだろう?
思いが頭の中で渦巻きました。
今こそ一人でも多くの人に生活クラブの消費材を利用してもらうこと。共同購入の推進。
それが間接的であっても被災地の復興につながる事ではないかと思いました。
第二部 原発事故への対応方針と実行計画 (連合会より)
①震災後は利用が増えたが組合員数にはあまり変化が無かった。
②加工食品や米の需要は多かったが肉類は変わらず。鶏肉は減少だった。
③被災単協ではライフラインが止まり、届けられないと思われそうだが、他単協から届くようにした。その際、物だけでなく情報も届けた。
④福島原発では今も放射能が土にしみて海へ流れ、海への汚染が止まらない。
⑤チェルノブイリのデータから、
・子供の甲状腺癌は5年後から急に発病している。
・2~3年は汚染された物を食べなければならない。ある程度の放射能を体内に入れる事はしかたないので、覚悟して食べる。
⑥自主基準値について、
・生活クラブが測れる能力は3点。そのうち2点は栃木と千葉の牛乳、1点は肉類とする。この事から毎週OCR 600品目を測るのは無理だができるだけの事はする。
⑦まとめとして、安定した協同購入の為に、これからの協同購入について、放射能に対する考え方、いかに計画的に購入できるかを考えなければならない。
第三部 「東日本大震災放射能汚染問題を乗り越え共同購入運動をさらにすすめる為に」
(岩手・福島・千葉・東京23区南・横浜南各単協の代表によるパネルディスカッション)
①岩手…金曜日に震災があって翌週から消費材は届かないだろうと誰もが思っていたのに、ちゃんと月曜日から届いたので皆びっくりした。入手しづらいガソリンの調達をして日本海を回って届けてくれたと知り、ありがたくて組合員で良かったと思った。
②福島…やはり消費材が届いて驚いた。放射能の中、小さい子を連れてスーパーに並んで買っている人や前夜から並んでガソリンを買う人を見て、生活クラブで良かったと思った。理事が電話をかけてちゃんと配達されるからOCR出してねと声かけしたら、皆有難がっていた。
まとめ 「長く支援する事は、約束して食べる事」
印西支部 消費委員 鈴木裕枝
成田デポー支部 消費委員長 關 敬子