東日本大震災被災地支援の活動の続報です。
◆ワカメを守った発電機
4/6に重茂漁協を訪れた際は、壊滅した重茂漁港のさらに奥にある加工場を訪れました。幸い加工場は無傷でした。
加工場は漁協本部からは重茂漁港から続く川を橋で渡ったその先に位 置します。被災当日、漁港から侵入した大津波はそのコンクリート製の橋を 跡形もなく破壊して、川を遡りました。 電線も電話線も一切が流された中で、漁協本部では加工場も被害を受けたのだろうと判断していたそうです。夜になって真っ暗闇の中、加工場の職員が、徒歩で被災地を迂回し て、漁協本部に連絡に来たことでようやく加工場の無事を知ったそうです。
加工場の冷蔵・冷凍倉庫には焼きウニや50tほどのワカメなどが貯蔵されていました。電気の途絶えた中、重茂漁協ではなによりもこの倉庫の海の幸を守ることを最優先に行動したそうです。すぐさま宮古市の業者から移動式の発電機を借り上げ、冷凍・冷蔵倉庫の電源に充てたそうです。写真の真ん中の青色の箱がその発電機です。
4/6に訪れた際は、加工場へ向かう道路際のなぎ倒された電柱脇に、新たな電柱が建てられている復旧工事の最中でした。加工場の職員さんに場内を案内していただているときに、消えていた電灯が点きました。電気の復旧です。
◆震災当日にパックされていた茎ワカメ2000Pを初出荷
(報告が状況の推移に追いつかずにすみません。)話は飛んでしまいますが、その二日後の4/8には、茎ワカメ2000パックが生活クラブに向け出荷されました。生活クラブ岩手の熊谷理事長のお話では、重茂漁協伊藤組合長からは「一日でも早く」が合言葉のように聞かれるそうです。その言葉通りに被災後1ヵ月を待たずしての出荷となりました。その復興の速さに驚くとともに、大きく勇気づけられたワカメの出荷でした。
この茎ワカメのパッケージには袋詰めされた日が2011年3月11日と刻印されています。被災する直前にこの加工場でパックされ、その後発電機に守られて来た茎ワカメです。たぶん来週には組合員の手元に届けられるのではないでしょうか。歴史的なパッケージです。
◆生活クラブ東京から届いた2000枚の毛布
4/8は生活クラブ東京から、組合員の手で集められた毛布2000枚が重茂漁協に届けられました。前日深夜の大きな余震で岩手、青森、秋田全域が停電する中で、その到着が危ぶまれましたが、4/8無事に停電下の重茂漁協に、毛布を満載した生活クラブ飯能デリバリーセンターの13t大型トラックが到着しました。
同時に横内新生酪農の牛乳450本や、その他の支援物資は10tの大型冷蔵車で到着です。(この冷蔵車で茎ワカメは飯能DCに届けられます)
先日報告した通り、重茂に続く宮古湾内側の道路は、津波に削られ普通
乗用車でさえ1台が通るのがやっとの箇所が連続している状況です。そこを10tトラックが連なってはるばる届けられたのでした。(続く)